五平餅

goheimochiこの地域一帯で愛される、香ばしい甘辛のタレが癖になる郷土料理。

五平餅がいつ作られたかは定かではないが、由来は「山の神様へのお供えが御幣に似ていたから御幣餅」と「ある村の五平さんが考案したから五平餅」という二つの説がある。

形は10種類以上あると言われ、だんご型とわらじ型に大別される。味付けも、しょうゆ、味噌、ミックス、クルミやヘボ(蜂の子)入りなど地域によって様々な特徴があるので、食べ比べをするのもおもしろい。

五平餅は、少し固めに炊いたウルチ米がおいしいとされる。まずタレをつける前に遠火の炭火で下焼きし、それからタレを浸けてこんがり焼くのがおいしい作り方である。

栗きんとん

大正時代から始まった栗の栽培によって、古くから栗菓子を作る和菓子屋の多い恵那。

栗きんとんは、この地域特産の恵那栗に砂糖を加えて水を一切足さずに炊き上げてつくります。そして茶巾しぼりで栗の形に調えて完成です。

栗きんとんを最初に製造したのは、恵那市から車で30分ほどの加茂郡八百津町にある創業明治5年の緑屋老舗といわれています。

恵那市内には、15軒を超える和菓子屋が、それぞれ栗の産地や品種にこだわり独自の栗きんとんを製造しています。

知新館

chihinkan元禄15年(1702年)に、岩村藩の松平乗紀(のりただ)によって創設された美濃地域で最初の藩校です。

岩村藩は、3万石という小規模藩でありながらも、文教政策を重視し、有能な藩士の育成をしていたことで知られています。

知新館は、全国で400近くあった藩校の中でも創設が15番目以内に入る歴史ある藩校です。「知新」とは孔子の論語の「温故知新」に因んでいます。

岩村城址公園には知新館の正門が移築され、当時の様子を知ることができます。

藩校
江戸時代に、諸藩が藩に仕えていた武士(藩士)の子弟を教育するために設立した学校。藩学(はんがく)ともよばれています。

日本初の藩校は、寛文9年(1669年)に岡山藩主池田光政が創設した岡山学校です。

場所:中央自動車道恵那ICから国道257号で約20分。

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阿木川ダム

agigwa木曽川水系の水資源開発をするために1991年に完成したロックフィルダムです。

高さが101.5mの美しいアーチ型のダムは、総貯水容量4,800万立法メートルを誇り、洪水調整•河川環境の保全および新規利水の供給を目的としています。

木曽川との合流地点から110km上流に位置するこのダムは、中津川市の焼山(1,709m)が源流となっています。

阿木川ダムは、恵那市の他、名古屋市をはじめとする愛知県尾張地域と知多半島へと続く愛知用水の貴重な水資源となっています。

ダム建設には約13年の歳月が費やされ、総工費は1,078億円でした。

ロックフィルダム
ロックフィルダムは、土や岩石を盛り立てて造られるダムで、底面積が広く重さが分散されて地盤に伝わるため、底面積の狭いコンクリートダムよりも地盤が悪い所でも造ることが出来る建築様式として知られています。

場所:恵那I.C.から約20分。国道257号線沿い。

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おばあちゃん市 山岡

yamaoka山岡町の小里川ダム湖畔に位置する「道の駅」。

2004年にスタートしたこの道の駅のシンボルは、直径24mの巨大水車です。完成当時は木造の水車として日本一の規模を誇っていました。

また、石造アーチ「輿運橋(ようんばし)」やダム内部を見学できる小里川ダム施設も見所です。

道の駅には、寒天や五平餅、寒天豚をはじめとするこの地域のお土産や新鮮野菜が売られています。

レストランでは、寒天ラーメンや寒天ぜんざいなどユニークでおいしい料理を楽しむことができ週末は大賑わいです。

場所:中央道瑞浪ICから国道19号、県道瑞浪上矢作線を山岡方面へ20分。

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飯高観音

iidakakannon恵那市山岡町に位置する臨済宗のお寺、萬勝寺の観音堂に祭られている観音様です。

平安時代から災難除け・厄除けの観音さまとして信仰を集め、日本三観音として知られています。

慈覚大師円仁の作と伝えられている本尊の千手観世音菩薩の他、境内には不動明王(不動院)、普賢菩薩(狐月坊)などの仏像が祭られています。

慈覚大師円仁
jikakudaishi慈覚大師円仁は、最後の遣唐僧として唐にわたり、聖地五台山の巡礼、金剛界、胎蔵界などの受法を経て、帰国後天台宗を広め、数万人に結縁勧請を行った仏教界の偉人です。

また、慈覚大師という「大師号」を初めて朝廷から授けられた高僧でもあります。「大師号」を授かった高僧としては比叡山の伝教大師最澄や高野山の弘法大師空海などが有名ですが、慈覚大師が最初に大師号を授かったことはあまり知られていません。

場所:恵那ICから国道19号、国道257号、国道363号を通って約25分。

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大井宿(おおいしゅく)

ooishuku大井宿は、江戸と京都を結んだ東西交通の大動脈であった中山道の日本橋から数えて46番目にあたる宿場です。

かつて美濃路随一の宿場として栄え、全国で9番目の盛況ぶりだったことが知られています。

大井宿の特徴の一つに6つの「枡形(ますがた)」があります。枡形とは、街道を二度直角に曲げ、外敵が進入しにくいように工夫した道のことで、6つもの枡形がある宿場は、中山道内にはこの大井宿以外見当たりません。

大名などが宿泊した大井宿本陣跡には、表門、庭園が現存し、往事の面影をしのぶことができます。

場所:恵那駅から徒歩10分。

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岩村城跡

iwamura castle鎌倉時代中期にあたる1185年に築城された「日本三大山城」の一つであり、「日本100名城」にも選定されています。

海抜717mに建てられた岩村城は、日本の山城の中で最も高地にあった山城です。

また、高低差180mの険しい地形を巧みに利用した要害堅固な山城で、この地方特有の霧が出やすい気象環境を城作りに活かしたことから別名「霧ヶ城」とも呼ばれていました。

岩村城の創建者は、加源頼朝の重鎮であった加藤景廉(かげかど)であり、遠山荘地頭に補せられたのに始まります。

iwamura castle2その後、景廉の長男景朝が、加藤の姓を地名の遠山に改めて以来、遠山氏が代々居城しました。

美濃と信濃を結ぶ交通の要衝にあった岩村城は、戦国時代には織田軍と武田軍が争奪戦を繰り広げた場所としても有名です。

本丸を含む建物は、明治維新により廃城され、明治6年(1873年)に取り壊されました。

その他の日本三大山城には、奈良県の高取城、岡山県の松山城がああります。

場所:明智鉄道岩村駅から徒歩約30分。山頂に駐車場あり。

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武並神社 本殿

ena_volunteer_takanami国の重要文化財にも指定されている武並神社本殿は、1220年に建築された美しい建築スタイルで知られる建物です。

桧皮葺(ひわだぶき)、入母屋造(いりもやづくり)の本殿は、バランスのとれた室町時代の建築美を特徴としています。また、装飾に使われている蟇股(かえるまた)の古美術的な価値は高く評価されています。

2007年に始まった446年ぶりの修理•復元工事は、およそ3年に渡って行われ、その際見つかった戦国時代の大工が残した墨書から、この本殿の建築は愛知県の熱田出身の大工が担当したことが判明しました。その他、戦国時代に再建された本殿の彫刻やデザインなどを記した資料等も発見されています。

この大修復作業において、屋根には金箔を張った鬼瓦が施され、武並神社本殿は永禄時代の姿に復元され、その魅力あるスタイルで訪れる人を魅了しています。因みに修復にかかった費用は、1億8,900万円でした。

檜皮葺(ひわだぶき)
ヒノキの樹皮を利用して行う屋根葺手法の一つ。日本古来から伝わる伝統的手法で、世界に類を見ない日本独自の屋根工法です。日本の多くの文化財に檜皮葺を見ることができます。出雲大社本殿、富士山本宮浅間大社本殿、厳島神社諸殿などが美しい檜皮葺で知られています。

入母屋造(いりもやづくり)
東アジアの伝統的屋根形式のひとつ。広義には当該形式の屋根をもつ建築物のことを指します、また単に入母屋ということもあります。

入母屋造の屋根は、上部においては切妻造(長辺側から見て前後2方向に勾配をもつ)、下部においては寄棟造(前後左右四方向へ勾配をもつ)となる構造を特徴としています。日本においては古来より切妻屋根は寄棟屋根より尊ばれ、その組み合わせである入母屋造はもっとも格式が高い形式として重んじらました。瓦葺きの入母屋は、法隆寺の金堂や平安神宮大極殿のほか、各地の城郭建築でも見ることができます。

蟇股(かえるまた)
二つの横材の間におく束(つか)の一種で,上方の荷重をささえるとともに装飾にもなっています。カエルが脚を広げた姿に似ていることが名前の由来になっています。厚板の左右に曲線の繰形を施した板蟇股は奈良時代に始まり,内部をくりぬいた形の本蟇股は平安末期,のち彫刻装飾が加わるようになり,桃山時代以降その装飾性はますます重視されるようになりました。

場所:財恵那駅から徒歩20分、国道19号沿いに位置する

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